9月11日、こころっコロ「いのちの教室」プロジェクトチームは、世田谷区立塚戸小学校にて第2回「いのちの教室」を開催いたしました。塚戸小学校では2010年6月に第1回「いのちの教室」を開催、そこで投げかけられた子どもたちからの質問をベースに第2回「いのちの教室」を開催する運びに。ちなみに、3学期にある第3回「いのちの教室」の3本仕立て。
9月11日(土) 授業参観日(一般公開)。場所はいずれも塚戸小学校体育館です。
◆スケジュール
10:50~11:35 2年生向け 「体の不思議発見ツアー!」 ~からだってすごい!~ 第1回
11:45~12:20 2年生向け 「体の不思議発見ツアー!」 ~からだってすごい!~ 第2回
(第1回と第2回は同内容)
~楽しく生きる大人、朗読家 さわきょうこさんの体験を通じて~
14:45~16:00 大人向け 道徳授業地区公開講座
「死から生を見つめなおす」~いのちってなに? あなたは、子どもに何て答えますか?~
詳細は、以下です☆
今回は授業参観日。
子供たちだけではなくおとうさん、おかあさん、そして地域のおじさん、おばさんも参加しての教室です。
◆2年生の教室
ゆうきとはなちゃんが舞台とダンスで鍛えた体をつかってバク転や側転で入場。子どもたちの注目を一気に集めました。その後、カエル跳び15回、二人組ワーク(体で会話)、グループワーク(知恵の輪)を行いました。からだの凄さを2つのポイントから気づいてもらうことが趣旨です。
2.からだで会話できるんだぞ!(目と目、筋肉の動きや呼吸による相手の動作確認等)
子どもたちがけなげに一生懸命取り組んでくれる姿に感動!一方で、やはり子どもだからか、または人間だからか、相手に対する感情が節度なくあらわに現れる場面もあったりし
ました。
ました。
◆6年生の教室
命が助からない可能性が高い病気と言われた逆境を乗り越えた、さわきょうこさんの朗読とお話を聞いた6年生。透き通る声で語りかけるさわさん。
さわさんのメッセージは
「がんは怖い病気じゃないです。
末期だって言われても、もう覚悟してと言われても。大丈夫な時は大丈夫。強い薬で苦しくても、髪の毛抜けても、その中で笑える事を探して前に進むのも手です。死んじゃうかも…と思って、涙で手を握り合った夫にも今では平気で逆らって憎まれ口きいて、けんかします。病気になるのはそんな特別なことじゃなく、また病気になって感じる幸せと言うのはそんなけんかのできる何の変哲もない日常。日常を精いっぱい生きることのありがたさに気が付けることは実は生をより充実したものにできるかも。」
ということだったと思います。
さわさんのメッセージは
「がんは怖い病気じゃないです。
末期だって言われても、もう覚悟してと言われても。大丈夫な時は大丈夫。強い薬で苦しくても、髪の毛抜けても、その中で笑える事を探して前に進むのも手です。死んじゃうかも…と思って、涙で手を握り合った夫にも今では平気で逆らって憎まれ口きいて、けんかします。病気になるのはそんな特別なことじゃなく、また病気になって感じる幸せと言うのはそんなけんかのできる何の変哲もない日常。日常を精いっぱい生きることのありがたさに気が付けることは実は生をより充実したものにできるかも。」
ということだったと思います。
男子生徒「病気の時、会社まで辞めて支えてくれた旦那さんは今、どうしてるんですか?」
さわさん「みんな、後ろを向いてくださいー!あそこで手を振ってるのが夫です!」
男子生徒「今でも旦那さんを愛していますか?」
さわさん「もちろんです!」
というやり取りも見られました。
一方で、最後担任の先生が、「お前たち、まず病気になるな。病気になんてなるもんじゃない!さわさんのメッセージは病気になって幸せを感じるということを強調したかったのではなくて、君たちが今生きている日常というのがいかに有難いものか、大事に生きろ、ということだ!」という強いメッセージも残しました。
こういう忌憚のないダイナミクスは、とてもこころを揺さぶられるものです。
◆地域公開講座「死から生を見つめなおす」~いのちってなに? あなたは、子どもに何て答えますか?~
地域公開講座は、ターミナルケアに深くかかわる医師であるリーダーしんうさんの意向もあり、「よりよく生きるために、死から目をそらさない。死を見つめて、より幸せな生を築いていこう!」という企画でした。アメリカでは、死の迎え方を家族や身近な人々と話し合うことによって死の苦しみが軽減され、亡くなっていく人もその家族も生への満足度が上がることが研究で証明されています。
どうやってそれを教室に取りこんでいくかという試行錯誤もあったのですが、今回は、1学期の「いのちの教室」で集まった小学生からのいのちに対する素朴な質問を大人たちが考えることを通して実践することにしました。
たくさん出た質問事項から3つ、今回ディスカッションするテーマを選びました。
2.人間は何のために存在しているの?
3.大切な人を亡くして落ち込んでいる人にどう声をかけたらいいの?
どのテーマでも活発な議論がされたのですが、特に3「大切な人を亡くして落ち込んでいる人にどう声をかけたらいいの?」は、とても身近な問いだったので、大人たちは真剣な議論を繰り広げました。
75歳パトロール隊員: 私はもう75歳ですから、同級生や会社の同輩たちがよく亡くなっていきます。死というのは、ある意味、のこされた者たちが先にった者をどのように考えるか、語るかだと私は思うのです。それが死の本質ではないでしょうか。だから、私の場合は、亡くなった人との思い出をより具体的に手紙にしたためて、「あの人は~が好きで、そのときにこんな表情をされた」とか家族にお送りします。結構これはご家族に喜ばれます。また、私の父が91歳で亡くなったのですが、その時に母が大変落ち込んでいたのですが、父は定年後の人生を俳句に費やしていたので、私は母と一緒に父の残した俳句を整理して、「天寿をまっとうしたね」と父の人生を悼みました。
母親A: 私は、・・・こんなところでこういう話をするとは思わなかったですが・・・、実は私は二人目の子を出産後すぐに心臓の病気で亡くしています。亡くした時は、本当に落ち込みました。私は亡くした子の存在を感じることにしています。子どもたちにも、何かがあると、またテレビのニュースで生死について考えさせられるようなテーマのものが出た時は、必ず、亡くなった子どもの話題を出し、死についてを語り、生についてを語るようにしています。
父親B: 「だいじょうぶだ」という信頼が大事だと思います。大切な人を亡くした方の生きる力を信じるというか。「この人は大丈夫だ、立ち直れる」という信頼感をもって接して上げることが大切なんじゃないでしょうか。また逆に、我々も生きているもの、例えば子どもを育てるとかペットを飼育することとか、そのようなときに、「覚悟」をしないといけないのではないでしょうか。
子どもたちにこの、おかあさん、おとうさん、地域のおじさん、おばさんの、子どもたちに向き合う姿、そして、生きる厳しさと優しさを見せてあげたいと思いました。答えは出ない問いだけれど、こうやって大人が真剣に取り組む姿というのは純粋に子どもの心を打つのではないでしょうか?そして、子どもたちは自然と人に対する思いやりや、一生懸命生きていくこころを育んでいくのではないでしょうか?
そんなことを思った瞬間でした。
「給食」 |
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